「遺伝」 について

私は、生命科学者で、しかも脳神経科学を専門としておりますから「脳科学者」でもあります。では、どのような実験手法を用いているかというと、その一つは遺伝学です。 昔は、ショウジョウバエを使って研究していましたが、今はもっぱらマウスの遺伝学を基盤に、動物個体を用いた神経系の発生の研究を行っています。 そういう意味では、遺伝学者と言えるのかもしれません。

「遺伝」って何だ?、というと、普通に思い浮かべるのは、親から子供へと代々受け継がれて行く性質・形質、と理解されていると思います。 まあその通りなのですが、そんなことを考えていたら、遠い昔に読んだ萩原朔太郎の「遺伝」という詩のことを思い出しました。

これはとても風変わりな詩で(このページの最後に載せておきます)、犬が暗闇に向かって「のをあある とをあある やわあ」と吠える、という内容です。

この詩の中で、犬は、未知なる恐怖に向かって吠えます。そして、なぜ、未知なる恐怖に向かって吠えるかというと、それは「遺伝」的に祖先から受け継いでいる特性だと言うのです。

なるほど、我々人類を含む生物には、未知のものに対する畏れ、というものが遺伝的に最初から組み込まれているのかもしれません。 進化論的な立場から言えば、「畏れ」を抱かないものは、外敵に対して無防備だから自然淘汰されて残らない、だから今現存する生物の多くにはそのような特性が残っているんだ、ということなのでしょうか。

ただ、この詩で犬が暗闇に向かって吠えているのは、自分の祖先の犬が怖い体験をしたことをその子孫である自分が覚えていて、その結果として暗闇の恐怖に向かって吠えている、ということです。

これはつまり、祖先の体験が子孫へと遺伝して伝わっているってことです。私は、この考えは、フロイトと並んで有名な20世紀の心理学者のユングの考えに近いような気がしています。 深層心理(無意識)が遺伝するとしたユングの心理学(彼は集合的無意識・普遍的無意識と呼んでいます)はなかなか魅力的で面白いのですが、 「獲得形質は遺伝する」という、現代の生命科学では否定されている概念を内包しているために、我々生命科学者はあまり評価しないかもしれません。

(獲得形質というのは、生まれた後で経験などによって得られたその人の性質のことです。 例えば、もともと運動神経の悪い人が猛練習によって野球がうまくなっても、その後生まれたその人の子供が生まれつき野球がうまくなるかというと、そうではありません。 つまり、獲得形質は遺伝しない、というのが生命科学上の常識なのです。)

ところが、、、、最近の生命科学ではこの考え方が形を変えて、少し復活しつつあります。本来的な遺伝とは違うのですけれども。 本来の遺伝というのは、みなさんご存知のように「育ての親より生みの親」ということです。つまり、その容姿や能力などは育ての親ではなくて、生みの親に似るっていうことです。 一卵性双生児が外見的にそっくりであるのは、その最たるものです。

でも、最近では「生みの親より育ての親」という現象が少なからず報告されてきています。 これは、遺伝子そのものに組み込まれた情報ではないけれども、育て方によって、その遺伝子が修飾を受けて、結局育ての親と同じ性質が世代を超えて伝えられていく、という概念です。

なかなか面白いんですよ、この分野の研究も。。。。

たとえば、ネズミで観察されているんですが、子供の毛繕いをしたり背中を舐めたりと、きちんと子育てをする親に育てられたネズミは、自分が親になったときにはやはりきちんと子育てをするようになる。 逆に、あまり子育てをしない親に育てられたネズミは、親になってからやはり子育てをしなくなる。

しかし、子育てに熱心でない親から生まれても、親を交換して子育てに熱心な親の元で育てられれば、将来きちんと子育てをするようになるし、また逆の現象も観察されています。 つまり、生みの親は関係なくて、どのように育てられたのか、ということが、その後のネズミの振る舞いを決定するわけです。しかも、これが何世代も受け継がれるんですよ、あたかも「遺伝」しているかのように。 つまり、生みの親より育ての親、という訳です。

こういった現象は、最近ではかなり科学的に解明されてきています。 母ネズミが子ネズミを熱心に毛繕いしたり舐めてあげたり世話をすると、 子ネズミの行動を支配するある遺伝子に対して、常にオンになるようなマークが後天的に付けられることがわかりました。 このマークは、親離れしても一生の間、ずっと付与されたままとなりますので、このネズミは一生の間育ての親と同じような振る舞いをするわけです。 そしてまた、その性質は自分が育てた次の世代の子供へと受け継がれていく。。。。上述のように、たとえ血のつながりが無くても、です。

かように、「生まれよりも育ち」によって、遺伝子に一生にわたって残る後天的なマーキングが施されて、さらにそのマーキングが「子育て」という行為を通じて、世代を超えて伝えられて行くのです。 これは生命科学的には遺伝とは言いませんが、世間一般で言われているところの「遺伝」の概念に近いですよね。 親からもらった遺伝子が、このように環境によって後天的に修飾されるようなことを、「エピジェネティックな修飾」といいますし、このような生命科学分野のことを「エピジェネティクス」と呼ぶようになっています。

実は昨年出た論文で、親に虐待されて育った子供(ヒトの話です)は、上記ネズミで話題になっていたのと同じ遺伝子が、その後大人になってからも、オフになったままであることが報告されました。 (逆に、虐待を受けずに育った人は、この遺伝子がオンになっています。) もちろん、だからといって、子供の頃に虐待を受けた経験のある人の行動が普通の人たちと違ってしまう、という結論を安易に出すのは危険です。 人の性格や振る舞いは、ネズミなんかよりも遥かに複雑で、様々な影響を受けているはずだからです。 ですが、こういった科学的事実を前にすると、「子育てにおいて、絵本を読み聞かせたり、スキンシップをとったりするのが推奨されている」ということにも、実は科学的な根拠が隠されているのかな、と感じます。

そうそう、元の話に戻りましょう。 ユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在し、それが代々伝えられていくと考えていました。 これは、最近のエピジェネティクスの考え方を取り入れれば、科学的な解釈も可能かもしれませんよね?。

遺伝  「青猫」(大正12)所収
萩原朔太郎 

人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聴き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
のをあある とをあある のをあある やわああ

「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのですよ。」